カテゴリ:MSW( 5 )

拷問という道具

今朝出勤途中の車の運転中(なんせ、片道45キロも職場まであるので)、公共ラジオ放送(NPR)の番組が、元軍人でFBIと共同で取り調べ担当官がゲストで出ていた。

彼はアブグレイブ刑務所で取調べをしたらしく、最終的には精神的に参ってしまって、退役した人だった。彼の拷問に対するアメリカでの911やイラク侵攻での問題はこうのように話していた。

軍では拷問という行為での情報収集・自白というのは効果的でないということが研究結果としてでているそうです。つまり信憑性にかける→拷問で得る情報の真否は、拷問でない取調べで得た情報よりも確かではないということだった。

そしてもちろん、倫理的にみても反しているということだった。

リスナーの質問で、もし2001年9月10日に911の主犯格が警察にテロと無関係な事件で捕まったとしても、自白させる手段として拷問は使わないのか?というものだった。

このゲストの解答は、もし本当の911のテロ主犯格であれば、あと8時間も待てば911が起きると自覚しているはずであり、それまでは拷問されようが黙秘するであろうということ。もし拷問で何か情報を得たとしてもその信憑性へのリスク、アメリカの人権に反する行為は、その後の(つまりこれが現在のアメリカの大問題であるが)アメリカへの世界からの印象の悪化・影響力低下を招くので、結局は限られた情報しか集まらず、911を回避はできなかったのではないか、ということだった。

そして、次のリスナーの意見はこうだった。
911以来、拷問という行為が当たり前のように取調べの手段として話題になり、その是非が問われるのではなく、その手段が効果的かどうかということが問われるようになった。

911以前はアメリカ=拷問という方程式は成り立つには程遠かったが、現在はアメリカ=拷問という印象が世界(特にアラブ世界)に蔓延している。この状況は異常ではないのだろうか?という電話であった。

この電話の意見を聞きながら、ふと思い出したことがあった。
大学受験時、高校生読本という本を買って読んでみると、少し昔の日本の哲学者の文章で、死ということ、その価値観について書かれたものだった。端的にまとめると、死というものはその人間の数によってその死への感情が変わるものではないというような内容だった。
つまりは、例えば交通事故で死者が1人であろうが10人の大事故であろうが、その死への重みは決して比べることのできないものだというような感じだった。

そうそう、イラク侵攻以来、イラク市民の犠牲者が一つの爆弾で多いと悲劇だとか、アメリカ兵が1人犠牲になった日、8人犠牲になった日、どちらも比べることができないというのが、その哲学者の理論だった。確かにそうなんだよな、と納得した当時の自分がいる一方で、ニュースを見ながら、聴きながら、犠牲者の数で自分へのインパクトが違うというのに気づくことがほとんどでもある現実。

今年の秋からEnd of Life Careのプログラムを卒業した学校でとろうと計画中。自分のなんとなく描いていた希望の仕事へ向かって。

生きていること、死にゆくこと

なんだか心に響く言葉です。
[PR]
by duggo | 2007-05-30 14:02 | MSW

銃乱射事件

この1週間の間にアメリカ各地で学校侵入による銃乱射事件が3件起きています。

かの有名なコロラド州コロンバイン高校から離れていなく、しかもあの大事件の後に開校した高校で事件がありました。あのへんは都市部ではないので日本でいうところのコミュニティーとしての結束は固い土地なんだけど、犯人はその土地とは関係ない人物。女生徒を人質にとって立てこもって、最終的には最後まで人質にされていた女生徒2人のうちの1人を射殺して自らも命を絶ちました。地元の保安官のインタビューではその保安官自身がその殺害された被害者の生徒とその家族と顔見知りということで、涙ながらにその事件を報告していました。

そして今日はペンシルバニア州のキリスト教の一派のアーミッシュのとても小さな学校で、事件の直前に電話で話した犯人の妻曰く「20年前の出来事の復讐」のために学校に侵入して、女生徒を人質に立てこもり5人を殺害、そして彼もまた自らの命を絶つという事件。

どちらの事件も犯人の精神状態がどのようなものであったのかなど、調査中だし、もちろんどちらも自殺しているのでどこまでわかるかわかりませんが、本当の防止策はどんなに日本人は平和バカ、平和ボケしてるといわれようが、銃の規制だと思うんです。

コロラドの学校は9月に人質事件の脱出予行訓練をし、建物の構造もそういった事件でも被害が最小限になるように工夫されていたそう。

アーミッシュは皮肉にもキリスト教のなかでもかなりの平和主義者。しかも生徒が何十人の小さなアーミッシュ村の学校。

予防策はやっぱりそんなに簡単に銃が手に入ってしまう社会じゃないのかと。

アメリカ文化と言ってしまえばそれまでなんだけど、アメリカ文化っていったって、ネイティブアメリカンの文化じゃありません。ヨーロッパ人が北部アメリカ大陸にもたらした3つのものは、酒、銃、タバコ。これによって、先住民の人たちはアルコール依存症、高い自殺率、高い犯罪率+犯罪に巻き込まれたときの高い死亡率等々、全ての人たちが被害にあっているというのに。

狩猟民族と農耕民族の文化の違いなのでしょうか?でもどうしても銃の所有が安全性を高めているとは考えられないんですけど。
[PR]
by duggo | 2006-10-03 10:37 | MSW

スーパーウーマン

僕の通った大学はアメリカで最初の女子大です。そしてその街は女性の街として有名な街でもあります。女性の街?ってどういうこと?注目・話題になるところから言うと、レズビアンの街。もう街中では本当にたっくさんのレズビアン達(カップルが子どもと一緒に家庭をもったり)が暮らしています。ってことはいったいどういうことなんでしょう?そうです、とても安全で綺麗で住みやすい街なのです。女性の街ですから。市長(町長?)もレズビアン。前職は幼稚園の先生だったらしい。子どもにも優しい街。そして、マイノリティーたちにも優しいのです。街にはたくさんのメンタルヘルスの患者さんらしき人たちが歩いています。ホームレスやおそらくドラッグ中毒の人たちも。でもこの街では凶悪犯罪は(めったに?)起こりません。

どうしてでしょう?どうして女性の街は安全なんでしょう?

日本そしてアメリカでもも男性中心の社会が基本となってます。女性というだけで、産まれた時点からいろいろと制約がありました。例えば、子どもでも一定の年齢からは上半身裸になってはいけない、外で泥んこになって遊ばない(もしくは遊ぶと男の子みたいと言われたり)、アウトドアや機械いじりなどはしない、などなど。もちろん男の子にも制約はあって、裁縫とか料理とかあるけどね。社会にでると、これまたほとんどの組織では男性中心です。だから、産休もあってもないようなものだとか、男性社会で生きていくっていうのがテーマだったりすること自体、女性にはやさしくないし。

で、何が話したかったというと、また前回の母の訪米に関係してくるのです。その旅行友達も一緒に。うちの母は戦前産まれの中卒から看護学校に行った看護士でした。都内の大きな病院で働いている時にその旅行パートナーでもある当時の先輩に出会ったのです。彼女は8年くらい年上だけど、当時では珍しく大卒の看護士。背も高くてきりっとした怖い感じだったそうです。今はそんな面影もなくてやさしくて落ちついた年配の女性だけど。

母は僕ら兄弟3人の子どもを育てながら、バリバリ仕事してました。高度成長期、まだまだ日本の社会の福利厚生もままならない時代から。その高度成長期と共に日本の公共衛生もドンドン発達していったと話していました。いわば、スーパーウーマンなわけです。もちろん父の助けもあっただろうけど、母の苦労に比べたら。

そして、母の旅行パートナーの女性は今まで独身のやはり保健婦さん。日本社会でどんなに独身しかも女性ということで大変な経験をしてきたんだろう?だから、2人が来た時には、この街の、この学校の女性を中心とした政策・サービスをたくさん知ってもらおうと、いつも以上にいろんなことを紹介したっけな。それが、きっと彼女達への尊敬の気持ち、今まで日本で培ってきたことへの感謝の気持ちになるんじゃないかと。

とっても、とってもすごいことなんだよ、お母さん。僕はやっと31にしてちょっと気づいた気がするよ。ソーシャルワークの勉強をしてさ。女性を中心にモノを考えるとこんなに違った、住みやすい街が学校ができあがるんだよって。社会の差別された人が考えることは、いろんな人にやさしくて、視野の広い、受け入れる器の大きなそんなコミュニティー。

もちろん、母は母であって、そーゆーこと伝えるのも直接的では難しいんだけれども、きっと伝わったと思います。きっと、そんな学校に自分の息子が2年も行って、3回の夏を過ごしていたなんてこっちにこなければ母も実感できなかったんじゃないかな。これも、母へのスーパーウーマンへの感謝の気持ち。
[PR]
by duggo | 2004-09-30 11:05 | MSW

大冒険1

お久しぶりです。みんなマメに更新しているのでかなりビビッてました。先月末で無事卒業しました。なんだかもう1ヶ月ぐらい経つんだなぁとこれまたビックリですが。

卒業式には日本から母そして母の旅行パートナーが来てくれました。実は5月に一時帰国したときに、母には卒業式に来てほしいと頼もうと一大決心してたのですが、あっさりと「卒業式行こうかしら?」と母からきりだされて、母の愛情を感じ、信頼関係を再認識させられたのでした。

うちの母は69歳。保健婦を定年退職して今でもすこし同職のパートもやっている元気な人です。そして、その旅行友達は77歳。母の保健婦の先輩だとのこと。この二人はいろんなところに旅行に行っているんだけど、普段はツアー参加だから日本語でOKなんだけど、今回は個人旅行。英語も話さない読めない年配の二人がくりだした大冒険なわけです。しかも僕の学校は西部マサチューセッツ州なのでそこまで来るのも簡単ではなく。車も運転しないしね。

でも、2人はせっかく初アメリカ(ハワイを除く)なんだから、楽しもうというわけで、NYC観光→学校の卒業式出席→シアトル観光→僕とパートナーの家に滞在→SF観光→ヨセミテ観光→帰国というなんともパワーあふれる内容だったわけです。自分の母ながら本当に凄いなこの人と思いました。

僕にとっては母が卒業式に来てくれるということは本当に特別なことでした。いきなり2年ちょっと前、リーマンから留学してきて、ソーシャルワークがなんだかもわからないで入学して、大学院レベルの英語もままならず単身でがむしゃらにやってきた場所、それが僕の学校のキャンパス。そして、周りの人(友達や教授たち)に助けられながら、でも僕もちょっとは助けながら、いろんなことを感じて、しかも心理学系なので家族のこと、自分の歴史、母との関係や対立をいちいち思いおこしながら勉強に励んだ3回の夏の授業。或る意味母のことを本当にたくさん考えた2年と3ヶ月だったわけです。

そして、自分がゲイだってことでおそらく母もそんな息子とどうやって接したらいいのかよくわからないんじゃないかという不安もあっただろうし、だからもしかしたら僕の卒業式には来たくないんじゃないんだろうかという不安。姉や兄に対する対応と僕への対応はゲイというだけでそんなに違っちゃうのだろうかという不安や悲しみ。そんなことをアメリカのある意味懐の深い受け入れる力を目の当たりにして、自分と家族の関係を考えていたわけです。

でも、あっさりと「卒業式行こうかしら?アメリカも行ったことないし、楽しみだわ」なんてサラッと言ってのける母。そして自分達で旅行会社と交渉して(僕からの情報を元に)計画を立ててやってきた年配の女性二人。でもなぜか僕の中では、心配よりもそのパワーと度胸に勇気づけられたというか、或る意味安心してました。だってその血を引き継いでいる僕が卒業までこぎつけられたのも、やっぱりこの度胸があったからなわけで、心配するより最大限のサポートと現地でのホスピタリティーが大切なんだと思っていたしね。

でもこの夏の最後の学期はキャンパスを一人で歩きながら母がこの場所に来ることを想像しながら、何回も涙してました。絶対母をこのキャンパスで見たら号泣すると確信してました。そんな姿他の友達や教授が見ることになるのかなぁ、こっぱずかしいなぁと思いながら。

でも卒業式では涙はちょっとしか出なくて、もう本当にやったーという達成感、自分への誇りがあふれた瞬間でした。そんな姿を母に見てもらえたなんて、それだけでもこの2年とちょっとは僕の人生の中での大きな出来事であったわけで。なんだかもしかしたらこれって僕が大学院に申し込んだ時から決まっていたことなんじゃないかって。いろんな不安や悩みがありながらも、きっとどこかではこの母の懐の深さと愛情を目のあたりにするということに確信があったんじゃないかって。だってなんだか想像していた通りなんだもん。泣きじゃくるってシナリオ以外は。a0011876_2405722.jpg
[PR]
by duggo | 2004-09-17 02:40 | MSW

BigSecondSon

来週で2年目のインターンシップ(外来のメンタルヘルスクリニック)も終わりです。普通ならインターンシップの終わりと同時に卒業式みたいな流れなんだけど、うちのプログラムはその前にチョット待ったぁーとばかりに、卒論は佳境にはいるわ、夏の授業はフルであるわで、ぜんぜん達成感より、まだ続くこの重圧感って感じっす。そこにきてこのEnding......マジこれは辛いです。

ちょうど昨晩月イチで2年間参加した学校のシアトルStudentsのためのグループが終了。いやー、寂しかったです、そう振り返ってみると。

そして本日毎週しっかりセラピーに来てくれたクライアントとの最後のセッション。そのクライアントの強さにこっちこそ何度励まされたことか。ってことはシェアしなかったけど、そのクライアントの努力、そしてその変化に僕がたまたま遭遇したってことへの幸運さと感謝の気持ちは伝えました。最後に女性のセラピストを実は最初希望したなんて言われたけど、そこもそのクライアントの努力の結果、違った角度からコアな問題に取り組めたって経験は、お互いにとって貴重なものでした。最後に君の名前はFriendって意味だし、僕の名前はBigSecondSonだったね、て最初のセッションで話したことを回想したりして。涙出ちゃうとこでした。そのクライアントにも乾杯!

明日も一人、来週もまた一人。Endingは夏まで怒涛のように続きます。体もつんかいな?これもこの職業の必要な部分。なんたってIntimateな期間限定の関係だもんね。

悲しさのあまり、直後にオフィスにあった普段は食べないドーナツ1個食べてしまった。こうやってセラピスト太っていくんだろうか?ってふと疑問になったりして。
[PR]
by duggo | 2004-04-15 14:06 | MSW