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スーパーウーマン

僕の通った大学はアメリカで最初の女子大です。そしてその街は女性の街として有名な街でもあります。女性の街?ってどういうこと?注目・話題になるところから言うと、レズビアンの街。もう街中では本当にたっくさんのレズビアン達(カップルが子どもと一緒に家庭をもったり)が暮らしています。ってことはいったいどういうことなんでしょう?そうです、とても安全で綺麗で住みやすい街なのです。女性の街ですから。市長(町長?)もレズビアン。前職は幼稚園の先生だったらしい。子どもにも優しい街。そして、マイノリティーたちにも優しいのです。街にはたくさんのメンタルヘルスの患者さんらしき人たちが歩いています。ホームレスやおそらくドラッグ中毒の人たちも。でもこの街では凶悪犯罪は(めったに?)起こりません。

どうしてでしょう?どうして女性の街は安全なんでしょう?

日本そしてアメリカでもも男性中心の社会が基本となってます。女性というだけで、産まれた時点からいろいろと制約がありました。例えば、子どもでも一定の年齢からは上半身裸になってはいけない、外で泥んこになって遊ばない(もしくは遊ぶと男の子みたいと言われたり)、アウトドアや機械いじりなどはしない、などなど。もちろん男の子にも制約はあって、裁縫とか料理とかあるけどね。社会にでると、これまたほとんどの組織では男性中心です。だから、産休もあってもないようなものだとか、男性社会で生きていくっていうのがテーマだったりすること自体、女性にはやさしくないし。

で、何が話したかったというと、また前回の母の訪米に関係してくるのです。その旅行友達も一緒に。うちの母は戦前産まれの中卒から看護学校に行った看護士でした。都内の大きな病院で働いている時にその旅行パートナーでもある当時の先輩に出会ったのです。彼女は8年くらい年上だけど、当時では珍しく大卒の看護士。背も高くてきりっとした怖い感じだったそうです。今はそんな面影もなくてやさしくて落ちついた年配の女性だけど。

母は僕ら兄弟3人の子どもを育てながら、バリバリ仕事してました。高度成長期、まだまだ日本の社会の福利厚生もままならない時代から。その高度成長期と共に日本の公共衛生もドンドン発達していったと話していました。いわば、スーパーウーマンなわけです。もちろん父の助けもあっただろうけど、母の苦労に比べたら。

そして、母の旅行パートナーの女性は今まで独身のやはり保健婦さん。日本社会でどんなに独身しかも女性ということで大変な経験をしてきたんだろう?だから、2人が来た時には、この街の、この学校の女性を中心とした政策・サービスをたくさん知ってもらおうと、いつも以上にいろんなことを紹介したっけな。それが、きっと彼女達への尊敬の気持ち、今まで日本で培ってきたことへの感謝の気持ちになるんじゃないかと。

とっても、とってもすごいことなんだよ、お母さん。僕はやっと31にしてちょっと気づいた気がするよ。ソーシャルワークの勉強をしてさ。女性を中心にモノを考えるとこんなに違った、住みやすい街が学校ができあがるんだよって。社会の差別された人が考えることは、いろんな人にやさしくて、視野の広い、受け入れる器の大きなそんなコミュニティー。

もちろん、母は母であって、そーゆーこと伝えるのも直接的では難しいんだけれども、きっと伝わったと思います。きっと、そんな学校に自分の息子が2年も行って、3回の夏を過ごしていたなんてこっちにこなければ母も実感できなかったんじゃないかな。これも、母へのスーパーウーマンへの感謝の気持ち。
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by duggo | 2004-09-30 11:05 | MSW

就職決定!

就職が決まりました。卒業後初めての面接。なんと、とってもラッキーなことに、そのポジションに数週間前に就いた日本人の人をたまたま紹介してもらい、面接前に会うことができました。しかも、面接の質問も教えてくれて、僕としては1次前にすっかり答えをばっちり用意することができたのです。そして、当日はその知り合いも面接官の一人として座っていました。6人の面接官に1人、しかも初のアメリカでの就職面接、もうなにがなんだかわからないぐらいに緊張するわ、覚えていた答えはでてこないわ。でも、もちろん答えを用意してきただけあって、それなりにポイントを得た内容で対応できました。

しかし、面接直後になぜか「あれ?なにこの感覚、違う、何かが違う。面接って質問に答えるだけなのかい?」とふと我に返る自分。時すでに遅し、面接は終了。おかげで僕は優等生という印象を与えることには成功して帰宅。

僕のアピールしたいのは優等生というところなのか?いや、違う。もっと人間味、穏やかな(風にみえるとも言えますが)雰囲気、初対面でも(自分の中では人見知り超激しいですが)人当たりの良いところとかそーゆーところのはず。本や教科書ではわからない、人間と人間のつながりの部分、そこが自分の求めるとこなんじゃないのか?それはどれだけ6人の相手に伝えることができたのか?と考えた時、やっばー全然ダメだったじゃん。

もう自己嫌悪の嵐がふきまくって、いてもたってもいられなくて、悔いばっかり残って、これで就職できるとは到底思えない!と自分でも確信して(そうです、この時点ではまだまだでした)。

そしてなんと2次面接の連絡が。もうとっても嬉しかったです。だってこれで僕という人間を知ってもらう機会がまたあるってことだから。嬉しいというよりは興奮してました。それからは、どうやって自分という人間をそんな限られた時間の空間の中で知ってもらえるかってことに重点をおいて、これまでの経験や、何が自分が貢献できるか、どんなことを自分はこの仕事で大切にしているかなど、そんなことを文章にしながら練っていきました。同時進行で友達から僕との関係のいろんな意味、自分を信じるということのパワーがどんなにすごいかなどなどサポートももらいながら。

さぁ、2次面接。チームメンバーが勢ぞろいでしかもそのポジションから去る人のお別れ会がてらのポットラック最中での面接。これがかえってリラックスムードで、僕もすっかり落ち着きながら、そんなチームの平和で優しい雰囲気を感じながら最終面接。

英語で答えるから、ときどき詰まっちゃったけど、いいたいこと、要点、自分の大切にしている部分は伝わったという手ごたえ。新人(卒業直後)だけに、ベテランの人から長い間関係を築いてきたクライアントを引き継ぐことの重要性、難しさ、そしてなによりクライアント第一の姿勢などなど、ま、自分の弱点であるところをあえて言葉に出して、でもそれを承知で挑戦します!と豪語する自分。もう、今回の面接は終わる前から、大満足のはなまる君。もう、これでだめならしょうがない、諦めもつく、と納得の面接でした。

帰宅直後に人事部長から電話。ビザのことで聞きたいんだけど。そうそう、僕はアメリカでは現在1年間のプラクティカルビザしかない外国人。雇用主はビザの取得のスポンサーになって、手続きする必要が。そして、911後(不景気の影響もあって)の移民法改正によって、ビザに発給制限が。あと数週間でその制限数に達するとの情報が。

弁護士に相談して、自分のできる範囲の情報共有を人事部長にしたり、弁護士と連絡をとってもらったり、もう僕は大満足面接だったのにその余韻に浸ることもできず、もうすっかり精神的に疲労困ぱい。心配してもしょうがないけど、心配しかできない自分へのもどかしさ。

そして、マネージメントチームでのミーティングの結果を受けて、今日就職決定の電話が。これで、貧乏学生(あくまで学生の部分が主で貧乏はまだまだ卒業できないけど)生活からのお別れ、自分のやりたいことを仕事にできた喜び、パートナーと一緒にまだ暮らせるという喜び、自分を気に入ってくれた職場への就職、たくさんのことがイッショクタンになって本当に嬉しいです。あまりの嬉しさに、うちのDUGGO(シベリアンハスキー)君のブラッシングを1時間ほど綿密にしてしまいました。幸せの瞬間の共有だね。
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by duggo | 2004-09-24 09:03 | 仕事

大冒険1

お久しぶりです。みんなマメに更新しているのでかなりビビッてました。先月末で無事卒業しました。なんだかもう1ヶ月ぐらい経つんだなぁとこれまたビックリですが。

卒業式には日本から母そして母の旅行パートナーが来てくれました。実は5月に一時帰国したときに、母には卒業式に来てほしいと頼もうと一大決心してたのですが、あっさりと「卒業式行こうかしら?」と母からきりだされて、母の愛情を感じ、信頼関係を再認識させられたのでした。

うちの母は69歳。保健婦を定年退職して今でもすこし同職のパートもやっている元気な人です。そして、その旅行友達は77歳。母の保健婦の先輩だとのこと。この二人はいろんなところに旅行に行っているんだけど、普段はツアー参加だから日本語でOKなんだけど、今回は個人旅行。英語も話さない読めない年配の二人がくりだした大冒険なわけです。しかも僕の学校は西部マサチューセッツ州なのでそこまで来るのも簡単ではなく。車も運転しないしね。

でも、2人はせっかく初アメリカ(ハワイを除く)なんだから、楽しもうというわけで、NYC観光→学校の卒業式出席→シアトル観光→僕とパートナーの家に滞在→SF観光→ヨセミテ観光→帰国というなんともパワーあふれる内容だったわけです。自分の母ながら本当に凄いなこの人と思いました。

僕にとっては母が卒業式に来てくれるということは本当に特別なことでした。いきなり2年ちょっと前、リーマンから留学してきて、ソーシャルワークがなんだかもわからないで入学して、大学院レベルの英語もままならず単身でがむしゃらにやってきた場所、それが僕の学校のキャンパス。そして、周りの人(友達や教授たち)に助けられながら、でも僕もちょっとは助けながら、いろんなことを感じて、しかも心理学系なので家族のこと、自分の歴史、母との関係や対立をいちいち思いおこしながら勉強に励んだ3回の夏の授業。或る意味母のことを本当にたくさん考えた2年と3ヶ月だったわけです。

そして、自分がゲイだってことでおそらく母もそんな息子とどうやって接したらいいのかよくわからないんじゃないかという不安もあっただろうし、だからもしかしたら僕の卒業式には来たくないんじゃないんだろうかという不安。姉や兄に対する対応と僕への対応はゲイというだけでそんなに違っちゃうのだろうかという不安や悲しみ。そんなことをアメリカのある意味懐の深い受け入れる力を目の当たりにして、自分と家族の関係を考えていたわけです。

でも、あっさりと「卒業式行こうかしら?アメリカも行ったことないし、楽しみだわ」なんてサラッと言ってのける母。そして自分達で旅行会社と交渉して(僕からの情報を元に)計画を立ててやってきた年配の女性二人。でもなぜか僕の中では、心配よりもそのパワーと度胸に勇気づけられたというか、或る意味安心してました。だってその血を引き継いでいる僕が卒業までこぎつけられたのも、やっぱりこの度胸があったからなわけで、心配するより最大限のサポートと現地でのホスピタリティーが大切なんだと思っていたしね。

でもこの夏の最後の学期はキャンパスを一人で歩きながら母がこの場所に来ることを想像しながら、何回も涙してました。絶対母をこのキャンパスで見たら号泣すると確信してました。そんな姿他の友達や教授が見ることになるのかなぁ、こっぱずかしいなぁと思いながら。

でも卒業式では涙はちょっとしか出なくて、もう本当にやったーという達成感、自分への誇りがあふれた瞬間でした。そんな姿を母に見てもらえたなんて、それだけでもこの2年とちょっとは僕の人生の中での大きな出来事であったわけで。なんだかもしかしたらこれって僕が大学院に申し込んだ時から決まっていたことなんじゃないかって。いろんな不安や悩みがありながらも、きっとどこかではこの母の懐の深さと愛情を目のあたりにするということに確信があったんじゃないかって。だってなんだか想像していた通りなんだもん。泣きじゃくるってシナリオ以外は。a0011876_2405722.jpg
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by duggo | 2004-09-17 02:40 | MSW