人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アメリカの大統領選挙2

前回はちょっとヒラリー氏に同情の内容でしたが、
こないだマサチューセッツにいる友達と電話で話したときに
彼女はオバマ氏の支持者でいろいろと面白いというか
興味深い話をして考えさせられました。

まず、ヒラリー氏に期待をしている女性としての
特性というか一人の母という人物がアメリカの大統領にという
ところですが、友達曰く、オバマ氏のほうがよっぽどフェミニン、
つまり女性的というか、アプローチの方法が分極化しないというところ。

政治にはどうしても賛成意見と、反対意見をどう交渉して
いかに賛成意見の人数を増やすかというところが重要ですが、
この分極化するというところは政治の汚いというか、ありきたりの
処方・手法なわけです。

この手法は共和党のマケイン氏、民主党のヒラリー氏もあからさまに
掲げている方法ですが、オバマ氏はこの方法をできるだけ
つかっていないと思うのです。

そう、ここが女性的というか、男性的な争って勝つ!みたいな従来の方法
ではなくてオバマ氏の場合、いかに人間の良心に訴えて味方につけるという方法で
ある気がします。

これは現大統領が911以来使い続けている恐怖を植えつけてそれから守る、
つまり国家保障・テロとの戦いとして行っているような手法では
オバマ氏はないわけです。

それは、ある意味、英語で言うナイーブ(鈍感、経験がなく気づいていない)な
ところと批判されるところでもあるオバマ氏ですが、
逆にとると、今までのこの方法で国際社会・情勢は不安化の一途を辿っていった
ということを踏まえると、実は違うアプローチをしたほうがその結果が
違ったものになる可能性が高いという方式にも当てはまるところです。

そうそう、このアプローチを変えずに、違う結果を求めるという
人間の性質は、セラピーをしていてもよくつかうところです。
このアプローチであっているはずだから、続けて、
でも現実的にその結果は悪化していく一方、もしくはステータスクオ(変化無し)
に終わるということはたた自分の人生でもあります。

だから、経験がなくて、政治の世界に長居して汚れているベテラン政治家よりも
オバマ氏のほうが斬新に新たなアプローチ、しかもそのアプローチは
分極化を進めるのではなくて、反対意見の人、国に対して手を差し伸べて
対話をおこなっていくという分極化とは正反対のアプローチを
掲げているので、結果としては可能性として違うものが生まれる可能性が
高いといえるのかもしれません。

それから、個人的な感情でいうと、マケイン氏、ヒラリー氏が大統領選挙の
それぞれの政党の候補者として、結果として選ばれなかったら、
僕としては、少し可哀相な気持ちになるな、と思ったところです。

でもオバマ氏が候補者になり、もし落選したとしても、その感情なわかない気がします。
失望・残念という気持ちはある思いますが、「可哀相」という気持ちはなさそうなんですよね。

何故か?

まず、マケイン氏は年配ですよね。しかも以前も大統領選に共和党内で争って
その座を現大統領に負けています。
この年齢で、今の世界の状況、アメリカの不況を改善していくという次代大統領の
大きな仕事に向かっていくということは、いくら経験があるといっても、
体力的にも非常に大変なことです。

ヒラリー氏は、前回にも書いたとおり、女性としてのアメリカ初大統領を目指しています。
クリントン家を嫌っている人がこの国では多い中、しかも夫は在任中に
不倫事件が発覚してそれをも乗り越えてここまできた人です。

そう、この二人には「この選挙でなくては後はない!」という日本語で言うと
清水の舞台から飛び降りる覚悟というか、もう本当にこの機会を逃したら
次はないんですよね。

が、オバマ氏にはそれが僕個人では感じません。
もし落選しても、上院議員として仕事を続けていくでしょうし、
それに伴って経験もまして、周りからより尊敬される政治家になる気がします。

で、ここまで考えて思ったことは、オバマ氏には余裕があって、
今までとは違ったアプローチ、斬新さがあって、
2001年9月からの世界の不穏な空気を変えることができる可能性が大!
と、思いました。

そして付け加えると、彼は政治家になる前に、
シカゴでコミュニティーオーガナイザーとしての
草の根運動というか、貧しい人々を目の当たりにして、その人たちと一緒に一つになって
その地域に貢献活動をしてきた、その経験はベトナム戦争帰還兵+長年の政治経験の
マケイン氏や、大統領夫人、弁護士、上院議員としての経験があるヒラリー氏とは
またまた想像のできない可能性がある気がしてなりません。

さてさて、どうなることでしょう。
# by duggo | 2008-03-16 06:27 | Private

アメリカの大統領選挙

随分とご無沙汰しています。
って読んでる人少ないと思いますが。

そうそう、去年からこちらでは大統領選挙キャンペーンというものが行われています。

共和党はマケイン候補で落ち着きそうですが、民主党はオバマ氏とヒラリー氏との
選挙戦が繰り広げられています。

おそらく、オバマ氏で落ち着きそうですが、ふと部外者(アメリカ市民権ないし)として思うことが。

ヒラリー氏もオバマ氏も僕はどちらも好きです。

オバマ氏は演説を聞くと、本当に乗せられるというか、英語で言うところのHOPEFULに
なるカリスマ性のある人物です。ケチをつけたくてもつけられない感じがします。

一方のヒラリー氏、彼女はいろいろな意味でいろんな目には見えないものと戦っている、
そしてその戦いで憔悴しきっている気がします。

まず、現実としてヒラリー氏を嫌いという人がアメリカにはとても多いということです。
彼女がいったい嫌われるようなことをしたというのは特にないんですけど。
ま、イラク侵攻に賛成した、情報が正しくないとわかった現在もその賛成した自分を
変えていないというのはありますが。

でもやっぱり女性というところが一番大きいのではと思われます。
女性だからこそ、女性でもアメリカの大統領といてやっていけるということを
示そうとしているからこそ、彼女の時には頑なまでの態度が、
僕であってもこの人ちょっと怖そうとか、感じてしまいます。
でも、こう感じる理由は彼女が女性としてもやっていけるということを
世間に示す必要があるから、そして世間の人々がこの人なら大丈夫だと思う必要が
あるからこそ、なんですよね。
そして僕の中でも認めたくない事実、そう女性が世界のトップ(アメリカ大統領ですし)
として不安というか、抵抗感というのがないといえば嘘になる気がします。

理性的には問題がないですけど、例えばマスコミで彼女のネガティブなニュースが
ポジティブなニュースより取り上げられるというのは、社会的にみても
その性別の差があるのではないかと。
自分自身もそんなニュースを見ると最初は納得しちゃうんですよね。

あとで客観的に考えようとして初めて彼女の女性候補者としての大変さを感じます。

もし、ヒラリーが女性でなかったらこんなに話題にもならないですし、
ましてや元大統領婦人としての経験もないことになりますが、
彼女がここまで強い自分を演じる(ているのかは別として、そのプレッシャーは確実に存在します)必要がないんですよね。

大統領っていうのは、当たり前ですが日本にある首相とは違って絶対的な権限を
持っています。それは現在のアメリカでどんなに支持率が低くても大統領が
いろいろな法案に拒否権を行使しているのを見ていてもわかるとおりです。

でも女性だからこそできなかったことができるのでは?という純粋な性別の違いによる
変化を表に出せないのが今の彼女の辛いところだと思います。

彼女は女性であり、母であり、アメリカの大統領が女性であり母である人物が
なるというのは世界に変化を与えるのには十分すぎると僕は思うんですが、
多分そう客観的に思える人はアメリカでも日本でも少ないんだろうと思われます。

母でもある人物がアメリカのトップになって、その人物が世界で影響力を行使できる
としたら、もしかしたら戦争だって少なくなるかもしれないし、
地球だってもっと積極的に大切にするんじゃないかと、思うのは僕だけなのでしょうか?

彼女は本当に特に悪いことしてもないのになぜかオバマ氏と比べると
怖くてきつい女性のイメージがあります。でも彼女の討論会での話していること、
演説で話していることは、そんなにオバマ氏と変わらないんですよね。
彼女は女性というイメージと、クリントン元政権とのイメージと戦っているんですよね。

ましてや、彼女を毛嫌いする人が多いアメリカではそれにも対応しなければならず、
そしてそのためにオバマ氏からは大統領選挙で共和党候補と一騎打ちになったときは
受かる可能性が新人候補のオバマ氏よりか低いとも言われる始末。

なんだか、毎度のようにポイントが曖昧ですが、彼女の挑戦と、おそらくそれが
成功しなそうなその現実、寂しい気がするこのごろです。
# by duggo | 2008-03-03 03:32 | Private

拷問という道具

今朝出勤途中の車の運転中(なんせ、片道45キロも職場まであるので)、公共ラジオ放送(NPR)の番組が、元軍人でFBIと共同で取り調べ担当官がゲストで出ていた。

彼はアブグレイブ刑務所で取調べをしたらしく、最終的には精神的に参ってしまって、退役した人だった。彼の拷問に対するアメリカでの911やイラク侵攻での問題はこうのように話していた。

軍では拷問という行為での情報収集・自白というのは効果的でないということが研究結果としてでているそうです。つまり信憑性にかける→拷問で得る情報の真否は、拷問でない取調べで得た情報よりも確かではないということだった。

そしてもちろん、倫理的にみても反しているということだった。

リスナーの質問で、もし2001年9月10日に911の主犯格が警察にテロと無関係な事件で捕まったとしても、自白させる手段として拷問は使わないのか?というものだった。

このゲストの解答は、もし本当の911のテロ主犯格であれば、あと8時間も待てば911が起きると自覚しているはずであり、それまでは拷問されようが黙秘するであろうということ。もし拷問で何か情報を得たとしてもその信憑性へのリスク、アメリカの人権に反する行為は、その後の(つまりこれが現在のアメリカの大問題であるが)アメリカへの世界からの印象の悪化・影響力低下を招くので、結局は限られた情報しか集まらず、911を回避はできなかったのではないか、ということだった。

そして、次のリスナーの意見はこうだった。
911以来、拷問という行為が当たり前のように取調べの手段として話題になり、その是非が問われるのではなく、その手段が効果的かどうかということが問われるようになった。

911以前はアメリカ=拷問という方程式は成り立つには程遠かったが、現在はアメリカ=拷問という印象が世界(特にアラブ世界)に蔓延している。この状況は異常ではないのだろうか?という電話であった。

この電話の意見を聞きながら、ふと思い出したことがあった。
大学受験時、高校生読本という本を買って読んでみると、少し昔の日本の哲学者の文章で、死ということ、その価値観について書かれたものだった。端的にまとめると、死というものはその人間の数によってその死への感情が変わるものではないというような内容だった。
つまりは、例えば交通事故で死者が1人であろうが10人の大事故であろうが、その死への重みは決して比べることのできないものだというような感じだった。

そうそう、イラク侵攻以来、イラク市民の犠牲者が一つの爆弾で多いと悲劇だとか、アメリカ兵が1人犠牲になった日、8人犠牲になった日、どちらも比べることができないというのが、その哲学者の理論だった。確かにそうなんだよな、と納得した当時の自分がいる一方で、ニュースを見ながら、聴きながら、犠牲者の数で自分へのインパクトが違うというのに気づくことがほとんどでもある現実。

今年の秋からEnd of Life Careのプログラムを卒業した学校でとろうと計画中。自分のなんとなく描いていた希望の仕事へ向かって。

生きていること、死にゆくこと

なんだか心に響く言葉です。
# by duggo | 2007-05-30 14:02 | MSW

乱射事件と僕の妄想

日本でも長崎の市長が射殺されるという許されない事件がおきました。

そして、アメリカでは遠く離れているとはいえ、バージニア州の大学で乱射事件。
昨日は帰宅してからしばらくCNNやらテレビを見ていたけど、TVをつけているだけでも精神的に参ってしまいそうだったので、ニュース番組にしておくのをやめたほどでした。

話は変わるけど、実はシアトルでもワシントン大学(UW)で先日元交際相手の男性がUW職員の女性を射殺して、自分も自殺するという事件がおきたばかり。結局はこの男性ストーカーだったみたいで、しかもイギリス人の不法滞在者だったといことが後で明らかに。このときはなぜこの男性が交通違反で警察に止められたときに不法滞在者だってわからなかったのかって話題になりました。

アメリカは国、州、市町村などそれぞれの法律が別々にあります。シアトルの場合は、地元の警察は通報があってもいちいちその人たちがアメリカ市民であるか、移民、不法移民であるかということはチェックしないとあります。一番の理由は移民は国の法律で移民局に管理されていることなので、地元警察がいちいち確認するには時間も労力もかかりすぎる、二番目の理由は違法移民だということでDVなどのすべての人の安全に関わる通報に支障をきたす、ということだそうです。確かに不法移民だからといってDVの被害者が通報できない(通報すると移民局に連絡されて強制送還されてしまうという恐れ)ってことがありえるわけで。

僕もこのシアトルの法律には賛成です。二番目の理由に賛成だけど、もしなかったら自分も職務質問とかされた場合に、こっちの免許証のIDだけじゃなくて、移民局に問い合わせて身元確認とかされるとなると、時間が異常にかかるし、それ以上に多分外出恐怖症になると思う。入出国の時のビザ、パスポートを見せてちょっと質問されるだけでもかなりビビるのに、それが普段の生活であの嫌な犯罪人扱いされているような過程が街中で起こるとなったら、ぜったいやです。

で、話はまた戻って、バージニアの乱射事件。今朝ニュースを見ると、グリーンカード(永住権)を持った韓国人学生がしたとのこと。ショックでした。偏見なんだろうけど、アメリカ市民がしたのと、外国人(永住権所持とはいえ)がしたのでは、自分に関わってくる部分がやっぱり違う、そしてなんといっても同じ東アジア系ということでも、ショックだった。

今日のニュースをまとめると、彼は8歳の時に両親と(?)移民してきて、アメリカには14年在住。同大学の英文学専攻の4年生で彼の作文があまりにも暴力的で、教授が大学のカウンセラーセンターを紹介したほど、常識から逸脱したところもあった。孤独な学生だった。等々。僕からみると、彼は悲鳴をあげていたのかもしれないと思いました。でも、結局は自分・他人の安全を脅かすという根拠がない限り、その人の人権を奪ってまで強制入院させたりするという法律はないのが実情です。

確かに、銃社会は問題です。もちろん銃規制はアメリカでは必要だという僕の意見にはかわりがありません。(驚いたのはラジオ番組である人が学生の安全を守るために適性検査にパスした学生それぞれが銃を持ち歩くべきだという意見が真剣に話されていたけど)
そして学校も最初の射殺事件から学生にEメールで知らせる(これもどうかと思うけど、メールチェックしなかったら、全く伝わらないわけだし)まで2時間もかかって、その警告メール直後に大惨事が起こってしまったという事実。学生、職員・教授、それから犯人も含めて33人の命が奪われてしまったという事実。

この犯人になってしまった彼の悲鳴を聞き逃してしまったというメンタルヘルスのシステムも問題なのでは?と思ってしまいます。孤独な移民学生。個人、学校、家族、社会のメンタルヘルスの問題に対するDENIAL(拒否反応)と情報不足、その対処法の欠陥が大きく関わっていると思うんだけど。

銃規制問題はバンバン議論して進んでほしいけど、韓国人、アジア人、移民に対する偏見、それからグリーンカード申請している人たちへの影響が心配です。

これは妄想?そうかもしれない。でも根拠のある妄想だと思う。
# by duggo | 2007-04-18 09:36 | 事件

IMAX グランドキャニオン

グランドキャニオン凄かったです。ずいぶん昔だけどね、もう。
あそこはやっぱり凄かったです。

崖っぷちにたっても怖いって気持ちよりも、壮大で吸込まれていくような。
でも人だかりが苦手な3人はキャニオンも端っこのほうが人が少なくて
居心地がよかったのを今でもよく覚えてます。

K君が確かテントで川の字になって寝たときに真ん中だったんだけど、
語り手として執りつかれてたのにもかかわらず、僕ら両脇の2人はグーグーと寝てしまい、
K君夜中に小話が溢れてきて眠れなくなったっていうエピソードもありました。

そう、このグランドキャニオンのIMAX版は、前回でちょっとでてきた、99年ジョシュアツリー→モニュメントバレー→グランドキャニオンのキャンプの旅で、3人で本場グランドキャニオンのIMAXシアターで観ました。

僕の勝手な印象では、Mちゃんがあの旅のときかなり勢いがあったんだけど、グランドキャニオンなんだからこれは観ないとっていうお勧めで観たんじゃないかと思います。

で、なんでこの話題かというと、実は今のパートナーのビルは、この作品のカメラマンアシスタントをしたということが発覚!

小型機に乗ったのは数回だけだそうだけど、フィルムの管理など(まだ当時は若かったんだろうね、ソルトレーク時代だろうから)が主な仕事だったとか。

観たときは確か上映時間まで裏の駐車場でまってから、本場グランドキャニオンのIMAXシアター(ログハウス風?)入館でした。

当時はその作品に関わった人とパートナーになるとはこれっぽっちも思わなかったけど。
またまた、偶然の出来事でした。

人生は偶然の連続なんだということを改めて実感しました。
# by duggo | 2007-03-11 13:56 | Private